皆さん、いかがお過ごしでしょうか。こちらデンマークではロシアによるウクライナ侵攻が始まってからメディアは戦争の報道ばかりで、多くの人がウクライナに想いを寄せています。また、デンマーク政府はウクライナ難民を対象に特別法を制定し、正式に大規模なウクライナ難民の受け入れを開始しました。

コペンハーゲン中央駅(左)。コペンハーゲン市庁舎付近の建物のライトアップ(右)。
駅にはウクライナとデンマークの国旗が掲げられ、建物はウクライナ国旗と同じブルーとイエローでライトアップされています。

デンマークのムン島でカフェとゲストハウスを営むオールセン香苗さんと夫のヘニングさんは、3月4日からゲストハウスでウクライナ難民の受け入れをしています。今回は、生の声を聴くため、香苗さんへのインタビューをお届けいたします。

―  なぜウクライナ難民の受け入れをすることにしたのですか?

 私たちにとって最悪なことは、何もできないことだと思ったからです。悲惨な状況をテレビで見ながら、何もできないというのは本当につらいことです。自分たちも何か貢献できているのかもしれないと感じられるのは、とても嬉しくありがたいことです。

― どういったプロセスを踏んで受け入れているのですか?

 プライベートで受け入れています。今ゲストハウスにいるウクライナ難民は、近所に住んでいるウクライナ人・ナタリアのつながりなんです。ナタリアが車でウクライナに支援物資を届けに行くときに、私たちも支援物資を提供し、必要があれば住む場所の提供もできると伝えました。いまウクライナから2家族がゲストハウスに来ています。

―  デンマークに到着して、皆さんの様子はいかがですか。

 今は落ち着いていますが、到着したとき、オルガ(37歳・2児連れ)は肺炎にかかっていました。4日間寝ていなかったと言っていました。

ウクライナは18歳以上の男性の出国を禁止しています。家族を祖国に残して母子で逃げて来なければならなかったため、国に背を向けて出てきてしまったという罪悪感がとても強いようです。


でも、早い段階で出国を決断したおかげで、子どもたちは心に傷を負うことなく、明るく元気に過ごしています。今でもウクライナの学校はオンライン授業を1日1時間くらい不定期に行っていて、宿題も出ているようです。

ウクライナの子どもたちが描いた絵。子どもたちが窓拭きのお手伝いをしている様子。(写真提供: オールセン香苗)

―     受け入れをするにあたって感じたことは?

 たくさんの人が助けてくれて、みんな本当にやさしいと感じました。たとえば、私たちがウクライナ人を受け入れていることを知って、カフェに来た見ず知らずのお客さんが500クローナ(約9000円)を渡してくれました。カフェでお茶を買ってくれて、お釣りを渡そうとしたらお釣りはいらないと。

 あとは、狩猟で獲った鴨をさばいて持ってきてくれたり、近所の人たちが抱え切れないほどのお肉を持って来てくれたり、もともと学校の先生をしていた方が、ウクライナの子どもに英語を教えに来てくれたり、本当にいろんな人に助けられています。

 また、スーパーで事情を話したところ、2000クローナ(約3万5000円)のギフトカードをくれて、とても感動しました。田舎ならではかもしれませんね。

 それから私がフェイスブックで支援を募ったら、たくさんの方から、お金が送られてきて、12000クローナ(約21 万円)も集まりました。これだけあれば、しばらく十分に支援できます。

―  何かむずかしいことはありますか。

 じつは、むずかしいのは、援助を受け取ってもらうことなんです。つい最近まで普通に生活していたウクライナ人は援助されることに慣れていません。「どうぞ」と渡しても遠慮されることも多くて、むしろ「家賃も払えなくて申し訳ない。何か手伝わせてほしい」という感じなんですね。逆に、私も受け取り上手にならないと、と思うようになりました。

 あと、3ヶ月くらい滞在できるようにと思って場所を提供しているのですが、彼女たちはとりあえず急いで逃げてきただけなので、落ち着けばすぐにでもウクライナに帰るつもりでいるんですね。持ってきた荷物もスーツケース1個分にもならない程度で、運転免許証もウクライナに置いてきてしまっているんです。

 車に乗れないので、今、一生懸命、自転車に乗る練習をしています。先日は一緒に3キロくらい自転車で走ってきましたが、その間に数回転びました。でも自分で移動できないと日常生活が不便ですし、がんばって自転車に乗る練習をしています。

―  今はどんなふうに過ごしているのですか。これからどうなっていくのでしょうか。

 普段はそれぞれの空間で暮らしていますが、毎日挨拶を交わしますし、週に1回は一緒に食事をしています。ウクライナ料理を振る舞ってくれることもあります。

 

週に1回一緒に食べるディナー。ウクライナ料理を振る舞ってくれました。(写真提供: オールセン香苗)

 みんなキエフの西側にある町の出身なのですが、昨日はついにその町の近くも爆撃を受けて、今日は町の市庁舎も破壊されたそうです。みんな「まさか」という感じで信じられないといった様子です。お父さんと連絡は取れていて、今のところ家は無事のようです。すぐにでも帰りたいと言っていますが、この先どうなるかはわかりません。言葉の壁もありますし、いま一番必要なのは、地域にウクライナ人の自助グループができることではないかと思っています。

― 最後に一言何かありますか。

 カーチャ(17歳の女の子)は、マニキュアをもらってすごく喜んでいました。ウクライナの女性はビューティーが大好きなんですね。

 その子が言っていたのは、みんなにウクライナの状況を知ってほしいということです。今世界に注目されているのはありがたいことですが、人は忘れていきます。「忘れられるのが一番怖い。ウクライナのことを知ってほしい」と言っています。

ゲストハウスに暮らすオルガさんたちからの感謝の絵とカード(左)
「ウクライナのことを知ってほしい」というカーチャさん(17歳)の絵と工作(右)(写真提供: オールセン香苗)

 ― 香苗さん、今日は貴重なお話をどうもありがとうございました!

「Fred i Ukraine (フレッド・イ・ウクライナ / どうかウクライナに平和を)」

【執筆者プロフィール】針貝 有佳(はりかい ゆか / Yuka Harikai Drejer)
北欧デンマーク在住のライター・トランスレーター。東京・高円寺出身。2009年12月からデンマーク暮らし。カフェ好き、読書好き、